オタク、光、渋谷にて

ペンライトにセットされていた名前が印刷された自作のフィルムを外して鞄に入れた。ライブ名が書かれているペンライトを持っていくか一瞬考えてやめた。

今日は七瀬れあさんのオタクの友人に連れて行ってもらいAppare!のリリイベに行ってきました。
みんな可愛くてパワフルでカッコ良かった。久しぶりのライブハウス、爆音の中でペンライトを振れて楽しかった。ここに幸福があると私は知っている。
特典券も恵んでもらい、厚かましくもチェキを撮らせて頂いた。ポッと出のオタクコス女にも関わらずギリギリまでお話ししてくださり大変優しい方でした…顔が私のふた回りは小さかったし私よりマイナス10kgは確実だったと思う。
f:id:haserism:20220319213015j:plain
距離感ヘタクソ芸人。

現場に行けば嫌が応にも推しと呼べなくなった推しのことを思い出す。オタク時代の裏垢のような鍵垢を久しぶりに見返してみた。当時の私は激情に苛まれ、苦しみ、たくさんの虚無を味わい、常に不安で、救いを求めて、でもその推しの存在を光に生きていた。そのほかのことがすべてままならなくても、彼のお芝居やパフォーマンスを見られれば、数秒でも言葉を交わせればそれで幸せで、何度も目の前に現れてしまった。

あのやり方はやっぱ、よくなかったよなあ。他人の人生に希望を仮託して、寄生して生きていた。反省点はもう全てと言っても過言ではない。
だけど、会いに行きたい、話をしたい誰かがいるっていうのはいいよなあ。初めて行った現場だったけど、待ち時間にボーッと推しと好きを抑えながら(であろう)会話をしたり、写真を撮るオタクたちを眺めて、羨ましく思った。

推しが推しとして機能しなくなり、かといって新たな幻も見つけられない私は、この何がどこにあるかもわからないような人生を自力で進んでいくしかない。
だけどこうして生活を良くしようと試みたりしてみても、人生の憂鬱を克服するには限度がある、と思ってしまう。
やはり幻や光を見つけ出すべきなのか、それとも自分と向き合って克服するべき課題なのか、答えはいまだにわからなくなる時がある。

夕方には雨が降ってきてコートに泥がすっぱねた。帰宅して、自分で手洗いをして部屋の中に干した。エチゾラム0.5mg錠を飲んだ。