ブルースを捨てたら空っぽになってしまうけど

私は自分の憂鬱やネガティヴがアイデンティティだと認識している部分がかなりある。最悪!
でも仕方がない。小学生の時から自分に自信がなく、中学生で希死念慮、高校生で自傷行為(軽度)、大学生で精神科デビュー、社会人で一応診断書をもらう。自分を打ち明ける時にもう憂鬱は切り離せない。それこそが自分が人生で成してきたこと、学んできたこと、自己なのだと思ってしまう。このブログなどまさにその体現である。
そして生きる術として私はそれら鬱屈をいくらかのユーモア、他人に益があるような何かに昇華することを選んだ。残酷で見ていられないような憂鬱をそのまま吐露するより憂鬱なりのギャグや良い文章へ変換した方が良い。というか現代メンタルヘルスの生き延びる道としてはそれが最適であるとおもう。鬱屈を切り離せないのなら鬱屈で終わらせずなにかしらプラスへ昇華するしか生き延びる術はないのだ。それが現代メンタルヘルスの生き方であると私はおもう。鬱病のユーモアと言うが、鬱を直に吐き出しても人が離れるから面白くなるしかないのだ。
この文章も変な時間に起きて過食して酒を飲みながら書いている。労働すると一気にストレス値が70くらいになってしまうのでまともな生活ができない。まあ酒も回ってきたし風呂へ入ります。皆様もご自愛ください。

記事タイトルは大森靖子の超新世代カステラスタンダートMAGICマジKISSより。
ガチ恋時代、これこそガチ恋のテーマソングだ!!と思いよく聴いていた。