もしもあの頃、無理しないでと言われていたら私は立ち止まれていたのか

私が過去とある俳優に入れ込んでいたことは既に何度か記事にしていますが、今回はその推しメンから離れた今思うことを少し書きます。

過去の記事やツイートを読んでくださった方や身内はご存知でしょうがそれは全力も全力でオタク活動に励んでいた。学業を投げ出し、友達付き合いを投げ出し、肉体と精神をできるだけチケットやグッズやプレゼントに換えた。
誇張ではないつもりである。約4年を費やし、使った総額は正確に計算はしていないが車を余裕で買えるくらいには達した。

完全な状態異常だった自覚は当時もあった。
それでもそうしなければ自分の気が済まなかったのだが、ふと思ったことがある。
もしも推し本人から無理しないで、というような言葉をかけられていたら、私は立ち止まれていたのだろうか?

推しメンは当時アイドル系の俳優ではあったが、接触(握手やチェキ会など話ができる対面のイベントのこと)は2回、まともなのは一度、それも私がオタクを始めたばかりの頃にしかなかった。(初めて目の前に立った時感動と緊張と衝撃で気持ち悪くなりトイレに駆け込んだのを覚えている)
つまりこれだけの時間と金をかけながら、推しとほとんど話をすることができなかったのだ。
接触現場がない場合の抜け道として出待ちというものがあり、まあ私の推しは出待ち対応をすることをずっとわかっていたのだが、私があまりにも意気地なしだったためそれは1度もできなかった。なにをしても自分が出待ちをしていい存在だと思えなかった。

当時繋がっていたオタクたちもみんな頭がおかしかったので、そういえば私を止める人がいなかったんだなあと、今になって気がついた次第です。
まあ止められたところで立ち止まりなどしなかったと思うのですがね。

先日、元推しの写真を全て写真フォルダから消しました。ブロマイドはお焚き上げに持っていきたい。グッズは売れそうなら売ろうかな。DVD類はどうするかちょっと悩んでいる。

もう近況も知らない人になりましたが、まだ蟠り残る気がしてしまうのは話ができなかったからなのか、過去の自分が可愛いからか。
後悔しないと思っていたけど役に立ったのかもわからん金なら1割くらい戻ってきてほしいし、着てくれなかった服は返してほしいし、早く思い出しても完全に大丈夫になりたい。多分、時間が解決するのでしょうけど。

私はあげくの果てのカノンにもブンちゃんにもなり損なった。私は創作の人間じゃないから、美しいことよりも、幸せになりたいので。