違う人生を生きなければならない

※こちらは一部過去記事の再掲を含みます

過去の私の話をします。

私には役者の推しがおりました。初めて姿を実際に見たのは2017年の1月。ガチ恋という形で推しと自覚したのが同年6月頃。そこからは狂ったように現場へ通いつめました。会えないと死ぬと思う一心、この人のためなら私の人生なんか残りいくらでもあげていいと本気で思っていたのです。

感情は会いに行けば行くほど暴走し、それは応援行為として昇華され、チケットの枚数も良席の数もプレゼントも手紙も祝い花もどんどん増えて積もって行きました。大学生活そっちのけで労働に勤しみ、そのお金のほとんどを推しに費やす、そんな生活を大体ピークが1〜2年、ずるずると2年くらい続けていました。
その間炎上したり事務所を移籍したり色々ありましたがここでは割愛します。

そして状況は変わります。コロナ渦以降予定されていた現場が全て中止になってからもう2年近く氏の姿は見ていません。表に出てこないだけならまだ良かったのですがそれからというもの某ゲームにハマりだし、仕事もほとんどなく、演技は劣化して、ゲームの話ばかりするようになり、よくわからないYouTuberと絡みだし、流石についていけなくなりました。ブチ切れて他界する訳でも他の幸せを選んだ訳でもなく、崩れ落ちるように離れる形になりました。

それはもう人生を切り売りして応援した人でした。私の世界の神様でした。毎日毎日その人のことを想って、振り回されて、悲しみも悔しさも喜びも不幸も幸福も、ありったけの感情を使いました。

だけどもう推しは推しとして成立しなくなってしまった。神様は神様でなくなってしまった。なのに私は生きている。残ったのはなにもない自分でした。他人の人生に寄生して、希望を仮託して、自分の人生に目を向けなかったツケが回ってきたのです。

もう以前のような生き方はできません。もう私は推しのことを推しとは呼べないし、また現場通いが再開するなんて信じてもいないし、事実今日までそのような動きは一切ありません。

違う生き方をしなくてはいけない。過去の私とは違う人生を送らないといけない。
神がいなくなった世界で、自分の人生を生きなくてはいけないのです。
自分の人生とは何か。きちんと就職し、やりたいことを見つけて励んだり、夢や目標を持ったり、一人で満足できる趣味に没頭したり、現実の友人らと関わったり、概ねそんなところでしょう。
こう書けばそれは幸せな人生への道のように思える。そうです。これは解放です。他人の一挙一動に心を揺さぶられることも、限界まで働き詰めることも、必死でチケットをかき集めることも、自分ではとても買わないような高額のプレゼントをあげることもない。友達と自由に予定も組めるし、貯金もできるし、自分を大事にできる。実際、あれらは自分を損なう行為でもあったでしょう。

でも、果たしてどちらの生き方が幸せなのでしょうか?

答えは未だにわかりませんが、ともかく私は生き方を改めなくてはいけません。
昨日、離職する旨の連絡を入れました。今の仕事は6月いっぱいで辞めます。そして遅すぎる就活を始める。色彩検定のテキストもとりあえず1冊買いました。最近はまたちょっとずつアニメを見たり、良さそうな本を買ったり、依頼を頂いて絵を描いたりなんかもしている。

みんなの列から外れて好き勝手生きたツケを払うように、私は頭のおかしなおたくから普通らしい人間を少しずつ目指していきます。向精神薬を飲みながら。